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東京高等裁判所 昭和38年(う)2975号 判決

控訴人 被告人 田崎政行

弁護人 原則雄 外一名

検察官 斉藤健

主文

原判決を破棄す。

被告人を懲役四月に処する。

本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

原審の訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人菅原幸夫及び同船越広が連名で差し出した控訴趣意書及び追加控訴趣意書に記載してあるとおりであり、これに対する答弁は検事伊藤嘉孝が差し出した答弁書に記載してあるとおりであるから、いずれもこれを引用し、これに対して当裁判所は次のように判断をする。

論旨第一点の二について。

公務執行妨害罪にいわゆる「公務員の職務を執行するに当り」とは、公務員が現にその職務を執行中であるばかりではなく、少くともまさにその職務の執行に着手しようとしている場合をも含むものと解すべきところ、原判決がかかげている証拠によれば、前記広井勇は国鉄尾久駅構内南部運転掛詰所勤務の運転掛として、列車の発着に関する事務、特にその内列車の発車合図をする職務を担当していたものであるが、その職務の性質上、次ぎ次ぎに多数の列車の発車合図をしなければならないところから、絶えず待機していなければならない立場にあるものであり、特に被告人等が同人を右詰所から連れ出そうとした午後六時五四分当時は、一九時発車予定の臨時列車の発車合図を間近にひかえており、おそくとも一、二分後には、右列車の発車合図をするために、右詰所から約七〇米離れている右列車の発車線に向わなければならない関係にあつたことが明らかであり、なお合図灯は常に準備してあり、いつ何時でもこれを持つて列車の発車合図をするために出掛けることができる体勢にあつたことが明らであるから、右広井勇は、右運転掛として、まさにその職務に着手しようとして待機中のものであつて、「その執務の執行に当つていたもの」に当るものというべきであり、同人が現に合図灯を持つていなかつたとしても、この一事により、直ちに右認定を左右するわけにはいかない。

その上、原判決がかかげている証拠によれば、右広井勇は、被告人等に輸送本部に電話連絡をすることを妨げられた際、被告人等に対して、出発列車があるから列車の発車合図をさせてくれという趣旨のことを言つたことが明らかであるばかりでなく、同人は、その頃、前記詰所内の運転掛の机の前に腰掛けており、且つその際現実には冠つていなかつたとしても、その机の上には、右詰所内に勤務している他の職員とは違つて、上が黒く、腹が赤く、その下部に金筋が一本入つている運転掛の制帽が置いてあり、なお被告人等が同人を右詰所から連れ出す際には、被告人が同人に右制帽が冠らせていることが明らかであるから、長年国鉄に勤務していた被告人としては、右広井勇が右詰所勤務の運転掛として、次ぎ次ぎに発車する多数の列車の発車合図をする職務を担当しており且つ同人が、右運転掛として、まさに間近に迫つている列車(前記臨時列車)の発車合図をしようとして待機中のものであつて、「その職務の執行に当つていたもの」に当るものであつたことを知つていたものというベきであり、とうてい被告人がこのことを所論のように誤認していたと認める余地はない。

従つて、論旨は理由がない。

(その余の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 加納駿平 判事 河本文夫 判事 清水春三)

弁護人控訴趣意第一点の二「公務の執行に当り」について

公務執行妨害罪は公務員が「公務を執行するに当り」加えられた暴行又は脅迫により公務の執行を妨害するものであるが、「公務を執行するに当り」とは職務の執行中にかぎらず、執行開始の直前にまさにこれを開始しようとする態勢にあつた場合も含まれるものとされている。

原判決はこの点につき

「……運転掛の職務として列車の発車合図をするため待機中であつた国鉄東京鉄道管理局尾久駅勤務の職員広井勇が国鉄労働組合員により右詰所が包囲されるという急迫した状況を輸送本部へ電話連絡しようとしていた同人の腕をつかみ電話器を押えてこれを妨げ……」

と判示し、執行すべき公務を

(一) 運転掛の職務として列車の発車合図をすること。

(二) 急迫した状況を輸送本部へ電話連絡すること。

の二つを挙示し、(尤も(二)の点は公務なりや判示では必ずしも明確ではないが)ているのであるが、(一)の職務につき職員広井勇は「待機中」であり、(二)の職務については将に「しよう」としていた場合に該るので、(一)及び(二)の各場合が刑法第九五条にいう「公務を執行するに当り」に該当するものなりや否やを吟味する問題を生じるのである。

先ず(二)については、後述するようにその職務の適法性につき疑問あるため、之を論外とし、(一)の場合についてのみ論ずることとする。

職務を執行せんとして「待機中」なることは「執行中」の場合に該当しないのはもとより「執行開始の直前にまさにこれを開始しようとする態勢にあつた場合」とも稍々その趣を異にするものと考えられる。

仮りに「待機中」が正に「執行著手前」の意に使用せられたとしても原判決においては、いつごろから、いつごろまで待機するのかその点事情が明らかでないが抑々「待機中」なる場合といわんが為には、運転掛の職務-列車発車合図を執行せんとする場所において待機すること及び列車発車合図に必要な器具(本件においては合図灯)を所持していることによつてのみ運転掛の職務につき充分な知識を持たない第三者に対し運転掛がその職務を執行せんとして待機中であることを諒解せしめ得るのである。

然るに広井勇は右職務執行の場所たる発車すべき列車附近にいたものでなく、休憩用の運転詰所にいて休憩していたものであり又、詰所を出ようとする態勢にもなく又発車合図に必要な合図灯を所持していた事実もないのである。

むしろ広井勇は休憩してお茶でも飲んでいたらしい供述すら窺える(証人荒井権治及び被告人の供述)し且つ待機中は仕事らしいことは全くしていなかつたことは広井自身が認めているところである。

かように広井勇運転掛は待機中というよりはむしろ休憩中であつたというのが事実に合致するものであるにも拘らず原判決は之を誤認し、待機中と認定した違法があるのである。

(その余の控訴趣意は省略する。)

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